新潟地方裁判所 昭和38年(行)2号 判決 1963年7月19日
原告 伊藤正三
被告 新潟市選挙管理委員会
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一、当事者双方の申立
原告は、「原告が昭和三八年一月一四日行つた新潟市自転車競走実施条例廃止直接請求署名簿の署名に関する異議申立に対し、被告が同月一八日署名簿冊第三五五号および第三七七号の署名につき異議申立を却下した決定を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。
第二、原告の主張
一、原告は新潟市自転車競走実施条例廃止請求者の代表者として、昭和三七年一二月一七日被告に対し、右請求者九、八五一名の署名簿を提出してこれに署名押印した者が選挙人名簿に記載された者であることの証明を求めたところ、被告は審査のうえ、昭和三八年一月七日右署名のうち九、〇六二名の署名を有効、七八九名の署名を無効と決定した。そこで原告は同月一四日被告に対し、右無効決定のもののうち数件について異議申立を行なつたところ、被告は同月一八日付決定をもつて右異議の一部を認容したが、署名簿冊第三五五号および第三七七号の合計六一名の署名については、署名簿冊添付の請求代表者(原告)の委任状(原告から署名収集人に交付したもので署名簿の各冊毎に添付してある。)に委任者たる原告の押印がないという理由でこれらの署名を依然無効なものとして異議の申立を却下し、その旨原告に通知した。
二、しかし次の諸理由から右署名は有効であり、したがつて被告の右異議却下決定の部分は違法である。
(一) 委任状というものは委任者から受任者に対して署名収集について委任行為があつたかどうかを確認できればよいはずである。ところで本件署名簿二冊にある委任状に委任者たる原告が署名しているから、この原告の署名と他の有効な委任状にある原告の署名との筆跡を比較してみれば容易に確認できる。従つて本件署名簿二冊に各添付の委任状に委任者たる原告の署名のみで、その名下に印が押捺されてなかつたからといつて、原告から署名収集人(署名簿第三五五号は斎藤忠男、同第三七七号は広川春夫)に各委任していた事実は明白である。
(二) 別に新潟市長および新潟市選挙管理委員長宛にそれぞれ提出してある委任届によつて、委任行為の存在は明白である。
(三) 署名簿冊第三七七号の署名収集人広川春夫は、合計四冊の署名簿冊を持つて署名を収集したのであるが、右第三七七号を除く他の三冊には委任者の押印があるから、同人に対する委任行為の存在は署名者にも明白であつた。
(四) 委任状の押印もれのような瑕疵については、押印させて補正すれば事足りるのであつて、それによつて署名を無効とすることは、署名者の意思を尊重することを本議とする制度の趣旨に反し失当である。
よつて原告は、右署名簿冊第三五五号および第三七七号の署名を全部無効と判定し原告の異議申立を正当でないとした却下決定の取消を求めるため地方自治法第七四条の二第八項に基き本訴に及んだ。
三、本案前の抗弁に対する答弁
被告主張の本案前の抗弁事実のうち、原告に訴の利益がないことの点を否認し、その余をすべて認める。しかしながら個々の署名者の意思を無視することは出来ないので、原告は本件訴の利益を有する。
第三、被告の主張
一、本案前の抗弁
原告がその主張する条例廃止の本件直接請求をする為には、市内有権者総数の五〇分の一に相当する三、九七〇名の署名があれば足りるところ、原告が収集した署名のうち被告により最終的に有効とされたものは九、〇七〇名であるから、本件で争いのある六一名の署名の効力の有無を確定するまでもなく、原告はすでに、その所期する条例廃止請求をすることができる。ゆえに原告は本訴において本案判決を求める客観的利益を有しないから、本案について審理するまでもなく、原告の請求は不適法として棄却されるべきである。
二、本案に対する答弁
原告主張事実の第一項はすべて認める。第二項のうち(一)の委任者(原告)が署名しているけれども、その名下に原告の印を押捺されてない事実のみを認め、その余の主張はすべて争う。
本件署名簿二冊に添付の委任状には委任者(原告)の押印がなく、したがつて法令に定める様式を具備していないので、本件署名簿二冊の署名を全部無効と決定したのであり、原告の第二項(一)ないし(三)の各主張は、厳重な様式行為を要求する制度の趣旨に反し、いずれも失当である。同項(四)の主張については、補正することが出来るのは明文の規定がある場合に限るべきであるところ、本件の場合なんら規定がないのでこの点の主張も又失当である。
よつて原告の本訴請求は理由がない。
第四、証拠<省略>
理由
一、本案前の抗弁について
被告主張事実のうち、原告に訴の利益がないことの点を除いて、その余はすべて当事者間に争がない。
原告は、個々の署名者の意思を無視することは出来ないから訴の利益があると主張する。思うに、地方自治法第七四条に基いて条例の制定又は改廃の請求ができるところ、その直接請求を行う権利は、元来個々の住民に独立に帰属されるべきものではあるけれどもただその発動に当つてこれを個々の住民の単独の権利として認められず、有権者総数の五〇分の一以上の者の連署をもつてその代表者から請求できる旨の集合的行為として認められているにすぎない。したがつてすでに署名の数が、有権者総数の五〇分の一以上に達したからといつて、それ以外の署名した住民の権利行使が妨げられる理由はなく、それゆえ、署名簿の署名に関する争訟も、ただ個々の署名の効力の有無をその対象とするものであると考えられる。したがつて、本件において、原告は本件署名簿二冊にある署名に関する被告の決定について不服を有する以上、訴を提起する利益を有するものといわねばならないから、被告の主張は失当である。
二、本案の請求について
原告主張一の事実は当事者間に争がない。
原告は、委任行為が真実存在し、しかもそのことを他の証拠から被告および個々の署名者が容易に関知することが出来、又瑕疵を容易に補正することが出来る場合であるにもかかわらず、被告が署名簿添付の委任状に委任者の押印がないという軽微な瑕疵のゆえに署名を無効としたことは違法であると主張するのでこの点について考察する。直接請求のような多数人の集合行為であり、かつ重要な行為にあつては、その適正を保障するために、手続を厳格に規定し、それを確実に履践することが法令上要求される。したがつて、地方自治法施行令第九二条第二項、同施行規則第九条によれば、請求代表者が他の有権者に委任して署名収集を行う場合には、署名簿に請求代表者の署名(又は記名)及び押印のある委任状を添付しなければならないと規定されており、さらに当該委任状の様式も法定されているのである。そして本件署名簿二冊に添付した委任状に何れも委任者たる原告の押印がないことは当事者間に争がない。
したがつて、たとえ請求代表者たる原告の委任行為が原告主張の如く真実存在したとしても、右法定の手続をふまずに収集された署名は無効であり又原告主張の如く追完により有効となるものでもないから被告のなした本件決定は相当といわなければならない。
よつて原告の被告に対する本訴請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 吉井省己 龍前三郎 瀬戸口敦子)